スカイ・クロラ:水素の実験は続く?(ネタバレあり)

 まず最初にお断り。できるだけ映画「スカイ・クロラ」に準拠して書いていくつもりですが、森博嗣作品との付き合いのほうが押井守作品との付き合いよりも長いので、自ずと思考もそちら寄りになるかと思われます。また、映画を観た後に原作を7年ぶりに読み返したので、以下の文章にはその観点も入っています。原作と映画の違いをこれから楽しもうという方にとって、楽しみの一部を奪ってしまう可能性がないとはいえません。善処はしますが、ご了承ください。
 では。

ラストシーンの微笑の意味

 映画のラストで草薙水素は、微かな笑顔と共に「君を待っていた」と、「彼」を出迎える。劇中で語られたキルドレとしての能力や性質(性癖)のループを仮定すれば、3度目の出会い。2回目の(函南優一との)出会いとは異なるその微笑の意味を、円環の中に閉じこめられた恋愛感情の発露だと捉える見方もあるのかもしれないが、「変化」に対する水素の立ち位置を考えると、素直にそれだけとは思えなかった。

4人のキルドレ

 先日、映画を観た直後に書いたエントリの中で、4人のキルドレそれぞれの「変化」に対するスタンスの違いを書いた。その時はネタバレを避けるため、キャラクターと立ち位置を結びつけてはいなかったが、個人的な解釈では以下がその対照表になる。

  • 草薙水素:変化の切っ掛けを見出しあらゆる手段を以て変化を求める
  • 函南優一:変化のないかのような日常の中にも確かに存在する変化を肯定する
  • 土岐野尚史*1:変化を拒絶した日々を変化のないままに受け入れて楽しむ
  • 三ツ矢碧:変化の糸口に気付きながらも独りでは前へ進めない*2

 この中で水素は、「戦争」を仕事とするキルドレとしては異例なほど長く生きているために、キルドレの抱えるループ構造に気付いて(もしくは知って)おり、また実戦から離れた立場にあるが故に、死ぬことによる(彼女の主観的な)ループからの脱出からも遠い位置にいる。だから、「永久に私たち、このままだよ」と嘆く彼女が閉じた環から脱出するためには、何か別の手段を使うしかない。…もしくは、戦死ではなく殺されるか。

草薙水素の実験は続く

 別の手段。キルドレの運命から逃れるための。彼女はそれを探していた。そして選んだ第1の手段が、キルドレでありながら出産し、母親になるということだったのではないだろうか。しかし、瑞季を産んだ後も、自分は変わらずキルドレのまま。一方の瑞季はループの外で順調に成長し、いつかはヒトとして自分を追い越すだろうという確信が日々強くなっていく。
 その水素の前に、自分が愛し、殺した*3キルドレ、栗田仁郎を引き継ぐ函南優一が現れる。おそらく彼女は、早い段階で優一の中に仁郎を見いだしたのだろう。そして、少しずつ「実験」を始めたのではないか。
 その実験の結果、優一はティーチャに挑み、撃墜されるという、仁郎とは異なった結末を迎えた。これは、水素の実験にとっては確固たる「成果」だといえる。たとえ愛の対象が一度失われたとしても。そして、「彼」がやって来た。確かに彼女は「待っていた」のだ、実験の継続のために。その微笑は「彼」の目にはどう映っただろうか。

原作と映画の台詞の違い

 映画を観た後に原作を読んで気がついたのだが、映画化に際して台詞はあまり(一言一句とはいわないが、ほとんど)いじられていない。しかし、台詞を発しているキャラクターと場面が大きく異なっている箇所が1つあった。

「戦うことは、どんな時代でも、完全に消えてはいない。それは、人間にとって、その現実味がいつでも重要だったからなの。同じ時代に、今もどこかで誰かが戦っている、という現実感が人間社会のシステムには不可欠な要素だった。それは…」

 この(もう少し続く)台詞は、映画ではワインに酔った水素が優一に、原作では今にも泣き出しそうな碧が優一に告げている。これは、言葉の強度として結構な違いがある…と思ったのだが、結果的にはそんなに変わらないのかもしれない。どちらも、優一の心に楔を打ち込んだのだから。
 ただ、水素にとってはある程度優一への影響を自覚して話した言葉だっただろうし、碧にとっては自分の心の負担を少しでも減らしたくて吐き出さずにはいられなかった言葉だろう。

伝えたかった希望

 つまり、変化のない日常の中で、変化の糸口に気付いたとき、4人のキルドレの、誰のように生きたいか。そして、誰と共に生きたいか。それを選択するのは自由だけれど、その日々を生き、他人とも接することで、変わらないと思っていたものも、変わるかもしれないじゃないか。それが押井守のメッセージとしての「希望」なのかなと、漠然と思った。

── What Is A Youth?/手嶌 葵

(8/11追記)http://d.hatena.ne.jp/zsphere/20080809/1218212303 を読んで思い出したのだが、確かに原作になかった追加シーン(撃墜された味方機のところに駆けつけるところ)には見ていて違和感を感じた。あそこで水素が激昂するのは違うだろうと。でも、そのほかの部分の台詞回しにはあまり違和感を感じなかったのも本当…しかし、映画を見てから原作読み返し、という流れだったので、無意識に「映画の中にあって、原作にはない台詞」が頭の中から排除されていた可能性はある。もう1回見に行こうかな。

*1:本題とはまったく関係ないが、谷原章介の声は良すぎだろう。

*2:彼女は、明らかにキルドレである。しかし、自分ではそれを認められ(許容でき)ない。そのため、キルドレがループに囚われていることを知り、自己への疑心暗鬼を生じながらも、水素のように変化を求めて自ら行動することはできない。できたのは、彼女が変化への可能性を見出した優一へキルドレの秘密を告げたことだけ。

*3:その性質が優一と同じだとすれば、日常の中のささやかな変化を肯定しながら生きる彼が水素には許せなかったのかもしれない。