小さな水滴。

 Le Monde diplomatique の「支配的な思考を穿つ」[diplo.jp]という記事を読んだ。そして思う。────残酷なリアリズムの堅い岩盤を少しでも削り取れるような、小さな水滴になりたい。
 彼らは言う、既に起こってしまったことに文句を言うよりも、眼前の事実について考えようじゃないか、と。確かに、現在の状況を忘れた議論をしても、それは空虚な理想主義でしかないかもしれないが、間違った過去を振り返り反省することのないリアリズムも、何も救えないように思う。そして、過去を顧みないリアリズムのその先には、為政者の都合の良いように単純化された「事実」だけが残っているのではないだろうか。これは、「今」を映すことだけに躍起になっているマスメディアにも言えること。
 冒頭に挙げた記事は言う:

 人びとの精神に、砂糖菓子のような甘いとばりが絡みついているかのようにみえる。言葉が画一化している。言葉の単純化も同じぐらいひどい。世界をその複雑さのままに、その繊細さ、その矛盾のままに理解することが、人間の解放の核心であるはずなのに。

 単純化された世界はマジョリティに優しい。単純化された世界は権力に優しい。単純化された世界は富める者に優しい。単純化された世界は愚者に優しい。単純化された世界は「世間」に優しい......。世界はそんな優しさに満ちている。それが今のリアル。
 でも、そんな「リアル」は好きじゃない。出来ることなら賢く在りたい。きっと賢明な目から見えるその世界は、厳しくて残酷で悲しい綱渡りのような──美しい世界だと思うから。この、文字にして1000バイトとちょっとの気持ちを心の隅に大切にしまって、たまに引っぱり出して眺めながら生きることの出来る、そんな賢さが欲しい。
 そんな今日は22歳の誕生日。