機械仕掛けの歌姫たち。

 弱冠xx才の歌姫、という表現を良く耳にする。洋邦問わずに。
 確かにそう言う言葉を冠して宣伝すれば売れやすいのだろうし、実際彼女たちに興味を持つことも多いので、その言葉自体を否定するつもりはないけれど、その表現が使われているときはいつも彼女たちの「作られた」度合いが気になってしまう。
 音楽の世界で「ありのままの」歌姫なんてものは、天然の*1青い薔薇と同じようにあり得ない存在だということは理解している、つもりだ。彼女たちは皆、作られた、想像の上に成り立っている、アーティフィシャルなアイディアル。そして、そのことを十分に承知した上で、そういう「作られた」匂いをどれだけ消すことが出来ているかが彼女たちの魅力なのだと思う。少なくとも僕はそこに魅力を感じる。
 …と、柄でもない文章を、Katie Melua*2ケイティ・メルア)の"The Closest Thing To Crazy"を聞きながら書いてみた。まだまだ荒削りだけどカレン・カーペンター*3に通じるような、そして日本のあからさまに「作られた」歌姫たちにはない自然さを感じる。それは彼女自身が昨日放送されていたインタビューで、自分の歌は「Simplicity」が一番大切なんだと語っていたことにも現れているように思う。…素直で、頭の天井を突き抜けていくような歌声。
 今日、CD屋2軒目にして最後の一枚を無事保護。

*1:人工のものは作られたんだっけか…

*2:彼女は正しく「弱冠」二十歳

*3:歌のスタイルはノラ・ジョーンズに近いかな