Transfer of Sovereignty.

 ここの日記で政治的なことに言及するのには、自分の中でかなり勇気のいる行為だ。はっきり言って怖い。まず自分の無知が恐ろしいし、返ってくるであろう有形無形の反応が…いや、有形の反応ならまだいいんだけど、無形であるが故に厳しい反応、生暖かくスルー、以後の無視・緩やかな敵視、それがなにより恐い。自分としては何も変わっていないのに、この一点「だけ」からこれまで築かれた関係(まあそれすら錯覚かもしれないのだけれど)に楔が打ち込まれてしまう可能性を考えると、胃が痛い。それでもまあ…ひとつだけ。
 それは「主権の移譲(Transfer of Sovereignty)」という言葉について[ccm.sherry.jp]。*1
 この言葉が、民主党「憲法中間提言」のポイント[dpj.or.jp]に記載されていることが波紋を呼んでいる、らしい。以下その部分を引用すると、

(1)グローバリゼーションと情報化に伴う新しい変化や価値に応えるために。
 ◆国家主権の移譲や主権の共有へ
 ◆アジアとの共生

とある。「波紋」はこの「主権の移譲や共有」という言葉を捉えて、売国宣言だと非難(批判ではない)したり、亡国の危機だと煽ったりしているようだ。確かに国際政治についての何の予備知識もなく、字面だけから判断すれば(委譲、という誤記が多いように思えるのもそのせいか)そうも読み取れるので、このような記述をした民主党の軽率さ*2は批判されてしかるべきだとは思うし、もしその「波紋」がきちんと言葉の意味を理解した上でその軽率さを利用したネガティブキャンペーンだとすれば、それを始めた人間は政治的に優れているとさえ思う。しかし、そこから発生した「波紋」の根拠は言葉の曲解・誤解であり、あまり褒められたものではない。まして、その曲解された意味こそが民主党の真の狙いだ、などという陰謀論めいた話をや、だと思う。
 「主権の移譲」という言葉の指すものは、現在の国際関係においてはそれほど特殊な(そして異常な)事態ではない。例えばEU圏内における統一通貨制度の設立、欧州議会の権限の有り様などはその最たるものである。日本が関係していることであれば、FTAの締結やWTOへの貿易紛争の付託もそうだと言える。ここで注意してもらいたい点は、「主権の移譲」は、先ほどの文言でいみじくも「共有」と続けられているように、必ず相互的もしくは枠組み内での出来事であるということである。一方的な主権移譲などということはあり得ないことであり、不可能ですらなく主権国家として不能
 そして「主権の移譲」は、この着実に相互依存を深めている世界において、ある国が競争力を持ち続ける為には避けることの出来ない問題でもある。そこから目を背けてしまうことは決して賢いとは言えない。確かにEUの成立は、ヨーロッパの長大な相互関係の歴史と戦後の国際関係の妙の産物であり、内部において問題がない(EU憲法条約のフランス等での批准拒否などが耳目に新しいだろうか)とは言えないが、巨大な統一市場の存在などがヨーロッパの力になっていることは間違いない。このEUのような状態に日本を含むアジアやひいては世界が移行するには、もちろん10年などでは足りず、50年単位での努力が必要とされることだろう。
 こうしたコンテクストの中で「主権の移譲」という言葉が使われるのだということを理解すれば、「波紋」のような字面だけを追った短絡的な誤解は出来ないし、脊髄反射的な拒否反応を示す対象でもないと分かるのではないだろうか。…と思う。
 雑な文章ですが、移譲…いや、以上。あー、せっかくiTMS関連で読んでくれる人が少しは増えたのに、またガンガン減るんだろうな…がっくし。

*1:このリンクは、最初にこの問題について目にしたのがPhonoさんのエントリだったというだけで、他意はありません。

*2:民主党「憲法提言中間報告」(要約版)[dpj.or.jp]を併せて読むとワンフレーズにまとめてしまうことの軽率さがよく分かる。…逆に民主党が使うレトリックの陳腐さもよく分かるのが面白いといえば面白いかもしれない。