Giornata 3.

 三日目は雨音で目が覚めた。天気が良ければピサに行こうと思っていたんだけど、予定をフィレンツェの市内観光に変更…して外に出てみると止んでいる罠。でもここで再度変更するのは時間の無駄だと考えて、そのまま市内観光に出発。
 とはいってもそこは三日目、自分の興味ある分野を優先してドゥオモの北東、サンティッシマ・アンヌンツィアータ広場の奥にある考古学博物館へ。フィレンツェということでエトルリア*1関係のものを期待して入ると…意外にもエジプト関係の収蔵品が多い。っていうかミイラと棺桶が並んでいる部屋に照明がついていない(fig.1)のは来館者への嫌がらせですか。もちろんエトルリアをはじめギリシア・ローマの出土品もその後に展示されていて、中でもエトルリアの「キマイラ」が見物だった。(fig.2)
 考古学博物館から出てみると…ちょうど雨の合間に出ることに成功した様子。そしてここで地図を読み違え、というより勘違いして、サンティッシマ・アンヌンツィアータ教会(fig.3)をサン・マルコ教会だと思って入ってしまう。…隣同士の広場なのよ。でもこれは嬉しい誤算で、ちょうど儀式が始まる時間だったらしく、華やかでありながら厳粛なカトリック的雰囲気に触れることが出来た。(fig.4)
 その後は、ちゃんと予定通りサン・マルコ美術館(修道院)へ。(fig.5)ここは、まるごとと言っていいくらいフラ・アンジェリコのための美術館(2階部分の壁に直接描いてある)で、有名な「受胎告知」もここにある。またここは、15世紀末にメディチ家が追放された後のフィレンツェ神権政治を行い、最終的には火刑に処されたサヴォナローラ修道院でもあり、彼が使った説教壇や聖書・椅子などが保管され、椅子にいたっては設計図まであったのが面白かった。
 今度は雨が降っている。かと思うと止む。そんな天気の中、予定をあまり立てずに北西方面へ進攻。フィレンツェ大学の植物園があったり、少し歩くごとに教会(Chiesa:キエーザ)があったり。Chiesaなんとか、Chiesaかんとか…それはもう腐るほどに(腐らないが)。まあ、京都に行ったら腐るほど(こっちは腐るかも)お寺とか神社があるのと一緒か。そんなこんなでぶらぶらしていると、二軒目のスーパーを発見。そろそろお昼だからパンでも…と思って入るが美味しそうなパンがないので、毎度のごとく500mlのコーラと「Red Bull ENERGY DRINK」(fig.6)なる飲み物を購入。細い缶なのにコーラの倍以上の値段で売られていた。味の方は…濃いリアルゴールド? そんな感じ。濃いので後味に注意。他にはキッコーマンの醤油が売られていたのを発見。
 その後も北に進んでバッソ要塞などを周り、サンタ・マリア・ノヴェッラ駅の方に戻りつつ、昼ご飯はどうしよう…と考えていると、おなじみの黄色いMの文字と共に衝撃的な広告が。(fig.7)「アジアンバーガー」って何よ。これは食べねばなるまい、と思ってアジアンバーガーとドラゴンシェイクを注文。あ、本当にパンズの上に塩で「味」って書いてあるよ…。アジアンと「味」が掛かっていたりするのだろうか。そのお味は、塩胡椒とマスタードの利いた普通のハンバーガー。イタリア人のアジア観は大航海時代前夜から変わっていないのかもしれない。ドラゴンシェイクの赤い粒々は、フルーツ系の味を期待していたのに反して、普通の赤いチョコクッキーでございました。
 それから一度ホテルに戻り、満を持して(行くのを忘れていただけとも言う)ドゥオモへ。街の象徴、サンタ・マリア・デル・フィオーレ。華やかに装飾されたファサードの印象とは一転して、その内部は空気の重みを感じさせる重厚でゴシックな空間構成になっていて、その引き締まった雰囲気に色鮮やかなステンドグラスの柔らかい輝きがアクセントを与えていた。(fig.8)
 クーポラへは一旦聖堂の外へ出てから入るようになっていて、入り口の料金所には「463段上るけど大丈夫?」といった感じの注意書きも貼られていた。円蓋の中を進む階段は、途中で一度聖堂の中に出る場所があって、そこからは光り輝く天上と苦しみに満ちた地獄の対比も鮮やかな「最後の審判」を間近に見ることができる。天上はともかく、地獄の描写は迫力があって面白かった。また、円蓋の頂点近くでは円蓋の二重構造が良く分かる部分もあって興味深かった。
 さて、頂上に上がってみると…ジョットの鐘楼のときにも思ったけど、本当に美しい街だ。細部はむしろ雑然としていて整頓された美しさではないけれど、バラ色の屋根の統一感と同時に街のあちこちに散りばめられた特徴的な建造物のアクセントが、人間の活動・活力に偉大なものを見いだしたルネサンスの文化を、街がそれ自体として表現している、そんな感じの美しさ。その奥に広がるトスカーナの緑との対比も、それをいっそう際立たせている。…結局1時間近く見ていたのか。(fig.9,fig.10)
 クーポラから下りた後どこに行こうかと考えてみると、アルノ川の向こう側(Oltrarno=左岸)をあまり見ていないということで、あまり時間はないけど夕暮れ迫るヴェッキオ橋の方へ。橋の真ん中で写真を撮っていると、中世風の仮装をして楽器を吹き鳴らしつつ行進しているおじさん達(fig.11)がやってきたので、とりあえず橋のたもとまでついて行ってみたり。
 ヴェッキオ橋を渡り終えてから道なりに進むと、フィレンツェにおいては異質なほど大きいピッティ宮の広場に出る。(fig.12)ピッティ宮内の施設でこの時間から十分に見られるのは、パラティーナ美術館とそれに続く君主の居室だけ(というには贅沢だが)だったので、一も二もなくパラティーナ美術館に入る。
 パラティーナ美術館の最大の特徴はその展示方法だろう。基本的に歴代のトスカーナ大公が収集して飾ったままの姿で飾られているらしく、作家や年代ごとの部屋分けなどは特になく、壁一面に様々な作品が飾られるという、これはこれで贅沢な美術館になっている。ここはラファエッロのコレクションで有名らしい(確かに一目でそれと分かる作品が多い)けれど、個人的にはバルタザール・フランチェスキーニ(Baldassarre Franceschini)の優美さが印象に残った。
 その後、君主の居室の豪華さに感心して、その余韻に浸りつつ外に出てみると、当然のように真っ暗になっていた(fig.13)ので、オルトラルノの路地を少しうろうろしつつ(骨董品屋の店頭に金色の仏像が飾ってあったのが面白かった)ナターレの準備をする街の風景(fig.14)を楽しみながらホテルに戻り、三日目の活動を終えることにした。

*1:ローマの興隆以前にイタリア半島中部に存在していた文明。