フレーズの先にあるものは。

 たった一連なりの言葉が時に世界を動かす、世界は歴史が始まったときからそういう仕組みだったのかも知れない。民主政治の実現した古代ギリシャ、18世紀末からの革命の時代、そういった市民が「世界」に近付いた時代を動かして来たのは、常にひとひらの言葉であったように思う。そして現在、言葉はネットワークに乗り、世界をその掌の中に包み込んでいる...。
 以前レビューを書いたSF小説『エンダーのゲーム』の中で、エンダーの兄(ピーター)と姉(ヴァレンタイン)が手始めに複数の匿名人格を駆使してネットワーク上の発言力を獲得し、そしてじわじわと現実の世界での力(=言葉による影響力)を伸長させていく計画を立てる、という現実にネットワーク社会を生きる人間にとっては印象的なシーンがある。そのシーンでピーターは言う、

 「僕は自分を、どうやって思想を民衆の心に挿入すればいいのかを知っている、と見るわけさ。こんな経験はないかい、お前があるフレーズを考えるんだ、ヴァル、気の利いた台詞をね、そして、それを言ったところ、それから二週間か、一月後に、耳にするわけだ、誰か大人がそれを、もう一人の大人に言っている、二人とも見知らぬ相手だ、ってことが?或はそれをヴィデオで見るとか、ひょいとネットて受信するとか?」

 まさにその一昔前にはSFの中でしかありえなかった出来事が、現実のものとなっているおり、そしてそれを加速しているのが、今や世界一有名な検索エンジン"Google"なのだと言ったらあなたは驚くだろうか?ちなみに、これから引用する、Le Monde diplomatique(日本語版)の記事『Googleを通して見える世界』[diplo.jp]によれば実に世界中のWeb検索の53%がGoogleを使ったものらしい。その記事には、「SF」などではない「現実」の世界で起きた、或る興味深い例についての記述がある。

 2003年2月17日、ニューヨーク・タイムズの1面に、反戦運動〔を起こした世論*〕を第二のスーパーパワーの登場だとする記事が掲載された。(中略)アナン国連事務総長もすぐにこの言葉を引き取って使った。その後の数週間は、Googleで「第二のスーパーパワー」という言葉を検索すれば、出てくるのはこの元の定義だった。(*括弧内引用者)
 これに逆キャンペーンを張ったのが、ハーヴァード大学のジェイムズ・F・ムーアだった。3月31日、ムーアは個人サイトを開いて「台頭する第二のスーパーパワーの美しい表情」というタイトルの記事を載せた。ニューヨーク・タイムズの記事よりも無難な内容で、「第二のスーパーパワー」という言葉が共和党員さえ魅了するほど薄められた形で頻出する。一部の「テクノ夢想家」たちがムーアの考えに我が意を得たりとばかり、ネット上で強い影響力を持った論評を通じて、彼のあやしげな論文を「第二のスーパーパワー」についての「出所」に仕立てあげていった。事実、1カ月後にこれをGoogleで検索すると、上位30件のうち27件がムーアの毒抜きバージョンとなる結果が出たという。経済戦略とハイテクとリーダーシップの専門家であるムーアには、自分のしていることの意味がよく分かっていた。

 エンダーの兄ピーターとムーアとの共通点は、二人とも自分のやっていることの意味が「よく分かっていた」ということであり、また、ある思想(=それに繋がるフレーズ)を人々の思考の中に組み込む、という目的があったということである。では、二人の違いはどこに現れるのか?...それはピーターがフレーズの「創造」を思想拡散の手段としていたのに対し、ムーアの行為はフレーズの元々の意味を「歪曲」し「消滅」させてしまうことをその手段としており、その行為が数学的に物事を判断してしまう「世界一賢い」検索エンジンを利用したものである点に現れる。
 これは、20世紀には(広義の)全体主義体制が、SFで言うなら『1948年』のビッグ・ブラザーがその暴力的支配により行った言論統制を、少数のネットワーク上の「有名人」が極めて「民主的」かつ「静かな」方法で行うことが出来る(それも驚くべきスピードで)ということである。そしてそれを助長してしまうのが、一般化しつつある「辞書」としての検索エンジンの利用である。自分もよくGoogleを使って、××とは、というキーワードで検索してその意味を調べているので、その便利さは分かるだけに、今述べたような言論統制が主に政治的フレーズを対象にして行われることを考えると、逆に恐ろしさを感じてしまう。政治的に(記事の表現を使うならイデオロギー的に)偏った「辞書」を何千万もの人が何も知らないまま利用している状態を想像してしまうのだ。...少し被害妄想的なのかもしれないけれど。
 ...さて、『エンダーのゲーム』のピーターは最終的に「世界」を手に入れることになるのだが、現実の世界で転がり出したこのサイコロの行き着く先はどうなるのだろうか。世界を導くフレーズの先にあるものは?

[補足]この問題の日本での例や、Googleのこれからについて技術的に考えた議論は、ARTIFACT −人工事実−|googleを利用したイデオロギーの陣取り合戦[artifact-jp.com]でコレクトされている(ここでの議論でいうなら、どこも「有名」サイトばかりです)ので参照してみて下さい。