Control, we have?

 昨日、サイバー法学者ローレンス・レッシグ[lessig.org]が2002年7月24日行った講演、[ittousai.org]の日本語訳版Flashを見た。...見終わってまず、どうしてもっと早く見ておかなかったのかと少し後悔した。Lawrence Lessigという名前と、Creative Commonsというライセンスの存在は以前から知ってはいたのだが、それを頭の片隅に置いてはいても、決して自分に関係のある問題として認識してはいなかった(ネットワークに興味を持つ法学の徒でありながら!)ことへの後悔。そしてその後悔を上回る、現在の著作権保護法制が向かわされている目的地に対する、彼の危機感への共感。
 かつてアイザック・ニュートンは自らの業績について質問された時、「もし私が他の人よりも遠くを見ているとしたら、それは巨人の肩の上に立っているからだ」と答えた。彼の時代、巨人の肩に登るのは、それ相当の実力が必要になるとはいえ...「自由」だった。そういう学問的利用の伝統は、引用として法律に許可されている範囲で今も継続されている。しかし、現在の知的財産法は、既存企業によるアイディアの「永遠の所有」を指向している。あの世界一有名なネズミは、楽園の顔をした檻に永遠に閉じ込められ、彼の名を呼ぶ、本当に彼を必要とするであろう、貧しい子供たちに夢を与えることを許されることはない。巨人の肩はもはや我々の「共有地」ではなくなってしまったのだ。
 さらに、ネットワーク上のコンテンツには、いわゆる「通常の私的利用」が存在しなくなる恐れが出てくることが分かるだろうか。あらゆるコンテンツの利用が著作権者の持つ「オリジナル」の「コピー」と看做されうるのだ。私達は決して「所有」することは出来ない。だってそうだろう?例えば目の前のブラウザに表示されているのはコピーで、ダンロードしたファイルもコピーで、ヴィデオチャットの相手の声や顔すら厳密に言えばコピーだ。しかもそのコピーは「彼らの」テクノロジーが規制できる。...そこに「自由」はありますか?
 ...と気張って書いてみたものの、レッシグの講演を直に聞いた方が内容を理解しやすいのは当たり前なので、上のリンクから飛んで、の日本語版Flashをダウンロードすることをオススメします。少々(?)重いですが。...と、そういうわけで、最後に彼の<リフレイン>を引用しておきます。自分が忘れてしまわない為にも。

1. 創造とイノベーションは常に過去の上に築かれる。
2. 過去は常にその上に創造されるものを支配しようとする。
3. 自由な社会はこの過去の力を制限することで未来を可能にする。
4. われわれの社会は日々、自由を失ってゆく。