世界遺産への落書きとダブルスタンダード。

Santa Maria del Fiore

 最近、イタリアの世界遺産サンタ・マリア・デル・フィオーレ大聖堂(Cattedrale di Santa Maria del Fiore)」*1への日本の大学生による2件の落書きがニュースとなった。(1,2[47news.jp])それに対する反応の多くは、軽率な行動に対する批判だったが、中にはそこが「すでに落書きだらけ」ということを以て擁護しているとも読める(そんなつもりはさらさらないのかもしれないけど)ものもあった。

 確かにサンタ・マリア・デル・フィオーレ、特にその象徴である大円蓋(クーポラ)へ登る階段とその頂上には、落書きが多い。洋の東西を問わず、いくつもの言葉で落書きが書かれ、彫られている。*2しかし、そのことによって自分も落書きするということは正当化できない。また、dankogai氏がブログで言及[livedoor.jp]しているように、明らかに19世紀以前のものと思われる「ti amo(愛してる)」というような落書きも存在する。そしてどういうわけか、こちらの方は今回の大学生による落書きほど腹立たしくも悲しくもない。

 どちらも落書きだという点からすれば、これは明らかにダブルスタンダードである。では、この2つを峻別しているものは何か。それは歴史的価値と書いた側の属性だろう。

 例えば、どこそこの寺の仏像にそれを彫った仏師が残した落書きが見つかったという話がある。また、カンボジアのアンコール遺跡に16世紀の日本人が残した落書きが残っている。これらは、現代的な観点で見た場合、もはや単なる落書きではない。歴史資料としての価値を有している。

 その点、19世紀の馬鹿ップルの落書きは、イタリア統一(1861年)前後の話であり、当時のイタリア半島人の往来を示す資料としての価値がないとはいえないが、それは落書きを肯定する根拠とするには少々薄い。もう一押し欲しいところ。そこで、落書きした彼らの属性を考えてみる。

 19世紀イタリアの馬鹿ップルと21世紀(そう、21世紀である)日本の大学生は、どちらも「とおりすがり」であることに違いはない。しかし、19世紀のイタリア人(当然カトリックであることが類推される)にとって、サンタ・マリア・デル・フィオーレは文字通り「花の聖マリア聖堂」であり、そこにある種の敬意を抱きつつ愛の誓い(それが濃いか薄いかはこの際気にしない)を刻む意味は想像できる。逆に、航空輸送網の発達した21世紀に、気楽な観光気分でやってきた遠い異国の人間が、世界遺産として認知されている(ということぐらいは彼らも知っていたと信じたい)大聖堂に、いくら既存の落書きがあったとしても、そこに自分の名前を加えるノリは理解したくない。

 そう、「理解したくない」のだ。結局のところ。何となく類推はできても。

*1:正確には、世界遺産フィレンツェ歴史地区」の一部に指定されている建造物。

*2:中には「中田英寿」などという、明らかに本人ではないものもあった。