iPhoneを発売日に買いたい人は必読。

 さて、来たる7月11日に発売されるiPhone。あまりデジタルガジェットに興味のある人ではない実の姉からもメールが来るほど(といっても弟がひどいMacユーザなので一概にはいえないが)、世間でも話題になっている模様。そしてついに先日、ソフトバンクから料金プランが発表された。月々7280円+本体料金(8GBモデル:960円/16GBモデル:1440円)*1というのは、iPhoneが欲しい人にとっては適当な価格だろう。

 いたるところで見かけるiPodはもちろん、Macまでもが売れ始めているという首都圏[impress.co.jp]や大都市圏[impress.co.jp]であれば、7月11日の発売日にiPhoneを手に入れるためのハードルは上がっているものと考えられる。まさに決戦は金曜日。*2そこで、iPhoneを発売日(+続く週末)に遊び倒したいという人におすすめなのが以下の記事。

 ・それでもiPhoneが売れない9つの理由[digimaga.net]

 この記事はとても参考になる。全部とはいわない。この中の4つ5つを覚えておこう。そして、雨後の筍のように(あるいは宝くじ当選後の親戚のように)増えた「iPhoneって何か話題になってるし、買ってみようかなー」という人間にいい聞かせてやろう。ガラパゴス製ケータイの高機能さを思い出させてやろう。それで撃墜できなかった者とは一緒にソフトバンクショップ(もしくはアップルストア)に並べばいい。

 交戦規定はただ一つ ── 手に入れろ。

 …というのは冗談としても、一時の評判に流されてiPhoneを買ってしまい、結果的に不幸になる人を減らすためには、こういったiPhoneのデメリット(とされる部分)を広めておく意義はあると思われる。

*1:新スーパーボーナスに加入するか否かなどを考え始めるとややこしいので、ここはこれで。

*2:血栓脂肪肝、というフレーズを同時に思いついたのはないしょ。

エニグマティック・フェノミナ

 最近、タイピングしていて、妙な現象が多いことに気付いた。

 ローマ字入力なのに濁点を付け忘れることがあるのだ。どういうことかというと、例えば「スタンダード」と入力しようとして、そして入力したつもりで、変換のためにスペースバーを押した瞬間、「すたんだーと」と入っている、というような。

 かな入力であればそれはわかる。かな入力において、濁点・半濁点は別に付けるものだからだ。しかし、ローマ字入力において「が」と「か」、「ぺ」と「へ」のような点や丸がないだけの打ち間違いは、本来起こりえない、はず。子音が違うから。

 最初に挙げた「スタンダード」にしても、「ダード」部分は「da-do」なのだから、「da」で「D」キーに乗った中指は「do」を打ち終わるまで動かなくてよいはずである。それがなぜ「すたんだーと」になってしまうのか。以下は仮説だが、こういうことではないだろうか。

 「スタンダード」と入力したいと思った瞬間、脳は音(もしくは音+映像)として「スタンダード(すたんだーど)」を認識する。その時点においてはまだ、「sutanda-do」というローマ字表記に分解されておらず、「『スタンダード(すたんだーど)』と入力する」という、日本語(つまり母語だ)の命令が発せられる。そして、その命令に従って指はタイプするのだが、ブラインドタッチを習得している場合、今から押されるキーが何のキーかということは意識されない。

 つまり、無意識のうちに、「『ど』は『と』に濁点を付けたもの」という、かな表記の習得期にありがちな刷り込みに従って、指が動いてしまったのではないか。単語を想起する時点での無意識と、キーボードの上で指を踊らせる段階での無意識。これらの無意識の繋がりが「スタンダード」から「すたんだーと」を生じさせたのだと考えられる。

 また、この現象が途中の「ダ」で発生しないのは、その「途中であること」こそが重要なのではないか。日本語の表記法則の無意識と、それとは別のローマ字の表記法則の無意識のせめぎあいの結果、「ダ」においては単語中の連続性に引きずられ、きちんと濁点の付いた状態で入力されるが、「ド」においては「最後に点をつける」という感覚が上回り、「と」が入ってしまうことがあるのだろう。

 …どうだろうか?

 要するに何がいいたいかというと、HHKB Professional2はタイピングしやすい、ってことなのだが。

連休中はこれで生きます。

Green Curry.

 WIRED VISIONの記事、『「日本のカレーライス」を熱愛する米国人記者が語る「ゴーゴーカレーNY店」』を木曜日に読んでから、かつてないほどカレー熱が高まっていて、なおかつ連休(=職場で食べる必要がない)なので、久しぶり(年単位で)にグリーンカレーを自作。

 久しぶりとはいっても、作り方は単純なので問題なし。今回は、いつも入れているナスの代わりにカボチャを初投入したので、そこがどうかな…とは心配したものの、食べてみたら問題なく美味かった。あー、鍋の中にあと2日分*1はあるな。シアワセ。

 あ、クラックコカインは入ってないのでご安心を。

*1:最初は「3日分」と書いていたが訂正。たぶん月曜には空になる。

Chain Reaction

 予告どおり、自転車のチェーン交換を日曜午後に実行。ついでに全体的な掃除も軽くやってやろうと。
 まず、チェーンを外す(チェーンカッターでつなぎ目のピンを押し出す)ということで、初めてディレイラー(変速機)のプーリー部分の分解までやってみようと思ったわけだ。…思ったのはいいが、これが1年半の油汚れか、と思わず感嘆するほど固化した油がべっとり。それに気付かず手で思いっきり触った自分が憎い。
 そんなこんなで手を汚しつつ、チェーン交換作業へ。気を抜くとディレイラーのバネの力で離れようとするチェーン(しかもオイルでぬめる)の合わせ目を左手で保持しつつ、右手でその合わせ目にチェーンカッター(チェーンをつなぐピンを押し込む)を当てて…ジャララっ、ビシっ*1。カラカラ*2……あーあ。ということを数回繰り返した後、ようやくチェーンの装着が完了。あと2本は手が欲しかった。
 最後にブレーキの偏りを修正したところで、暗くなってきたので作業終了。走行テストせず。
 で、次の朝(つまり今日)、通勤のために乗って、1速、2速…6速までは問題なかったのだが。7速と8速で強く踏み込むと、歯がバキンバキン飛びまくり。八犬伝かっつーの。何でだろ。チェーンが長いのか、組み立てるときにどこか間違えたのか。明日、明るいところでチェックしてわからなかったら自転車屋に持っていってみよう。

*1:ディレイラーのバネでチェーンが飛んだ音。

*2:ギアが空回りする音。

僕にその手を汚せというのか。

 最近、自転車のパーツを5000円くらいで買うことが続いている。この間はサドル。その前はペダル。実際、そこまでよくなったような気はしない(5000円程度のパーツでは流石にね…)ので、パーツの取り替え作業を自分でやった、という自己満足のための交換になっているという自覚はある。
 今回自分で交換してみてはじめて理解したのが、ペダルをクランクに固定するボルト部分の回し方が、左のペダルは逆になるということ。つまり、左右とも自転車の進行方向で考えて、後ろに回すと緩んで、前に回すと締まる。前に回る力で緩むと、乗り物としてヤバい*1、というのは考えてみれば当然なのだが。
 また、ペダルを外すには相当の力がいるので、ちゃんとしたレンチを使うべきだというのも学習。手元にちょうどいいレンチがなかったので、近所の100円ショップでモンキーレンチ(顎の幅が可変のレンチ、って常識か)を買ってきて、顎をボルトに合うように調整して、回そうと力を込めたら一瞬で顎を調整するウォームギアが破損。ガバガバに。結局ペダルレンチ(普通のレンチより薄い)を購入。ああ、105円(税込)損した。
 サドルの方は、標準装備のやつの色が白で、ジーンズの色が移って正直微妙な感じになっていたので、黒いのに交換。少し軽くなった(はず)。新しいサドルには、シートポストに固定するレールに目盛りが入ってるので、固定位置を前後にズラしていくとちゃんと踏み心地が変わって面白い。
 要するに、(比喩的な意味ではなく)自分の手を汚して何かしてみるのは面白いなと。時間ないけど。次は…チェーン交換かな。そろそろ伸びて緩んでるのを放置してきたツケが回ってきそうな予感。

*1:普通のネジは右に回すと締まって、左に回すと緩む。そのため、左ペダルを普通のボルトで作ると、進行方向に回すと外れる構造になってしまう。

人は感情のみにて生きる(べき)にあらず。

 遺族感情を重視するあまり、被害者遺族にとって残酷とも取れる(しかし残酷かどうかを判断しているのは外部の「われわれ」である)質問を回避するのは、悪しき自主規制ではないのか。彼の確固たる意思を改めて明確にしたと評価するのなら、その質問は(好悪の判断は別にして)「良い」質問とはいえないだろうか。…まあ、それはさておき。
 たとえばの話。死刑廃止論者に向かって、「もし、あなたの家族(もしくは愛する人)が残虐に殺され、実行者たる人間は逮捕された後も反省した様子はない。それどころか犯意を否定してすらいる。それを赦せるのか。もし私だったら絶対に赦すことはできない」と、仮定を持ち出して感情に訴えるのは、自己の理性を否定したに等しいように思える。理性に基づいて構築される(べき)社会制度のありようと、個人の感情の充足とは別の問題であり、それが「世間(=多数派)的感情」ならばなおさらである。
 当事者たりえない人間が、当事者がはっきりと自分の主張を行っているにも関わらず、それを自分勝手に「代弁」してしまうのは、とても危険なことだと思いませんか。逆に、声のとても小さい人の代わりに「代弁」する存在は必要だと思うけれど。
 相変わらずの雑想を申し訳なく思いつつ投稿。

貼ってズラしてまた貼って。

 自由に貼って、自由にはがせる付箋WEBアプリ「lino」。今のところ、主にToDoリストという味気ない使い方をしているわけだけど、アイデア次第でいろいろできそうな予感。アイデア次第というか、ケータイからメールでどんどこ送って、後で整理したり、アイデアを集める場所としても使えるので、Safari 3/Firefox 2/Internet Explorer 7ユーザなら、使ってみればいいと思う。

 で、そのlinoを全画面表示してくれるMac*1専用クライアントが「dino」。Macユーザなら、twitterクライアント「TwitterPod」や、"インターネットを高速化する"パーソナルプロキシサーバ「dolipo」でお世話になっている人も多いであろう、drikinさん謹製。Mac OS X LeopardのSpacesを1画面割り当ててやれば、いちいちブラウザで開く必要がない(=間違って閉じる危険もない)ので、快適になること請け合い。

 ただし、dinoは自分が表示しているのがlinoのキャンバスなのか、それ以外のWEBサイトなのかを区別しないので、「Macのナイスなオンラインソフト」みたいなキャンバスの使い方をしようとすると、必然的にlinoから出てしまうことになって、戻って来れなくなってしまう*2。これは、「linoit.com/canvas/hogehoge」以外のURLを、デフォルトのWEBブラウザSafari以外のブラウザをデフォルトに指定してる人もいるだろうし)に渡してやることで解決するのではなかろうか。…実際そんなことができるかどうかは知らないけど。できたらいいなあ。

*1:当然ながら、Safari 3以上(相当のWebKit)が入っていないと動きません。

*2:とはいっても中身はWebKitなので、[delete]キーで戻れたりもするが。